運命を変えた一日1986年9月・ルピアの切り下げ

私の記憶が確かなら、1986年9月12日(金)に発令されました。ルピアの切り下げです。それまで、過去2回その方策は取られていたようですが、これが3回目でした。簡単に言うと、一晩にして現地通貨「ルピア」の価値が一気に下がる事。数字はうる覚えなのであえて出しませんが、 (45%程度)だったと思います。赴任当時から噂ではずっと言われておりました。原油産出国のインドネシアでは、今の間逆のUS12/バレル位まで価格が落ち込んでおり、外貨獲得の一番早道として行われる一策です。
とにかく日本ではありえない事態が起こってしまい、まず何をすればいいかがわからずでした。家からの連絡では、日本食が消えるという噂でとにかく必要なものを買いに行くと。
会社では、従業員達が日に日におかしな空気に変わっていったのです。それも生活の不安からかもしれません。だれが考えてもわかるのは、ものの値段が上がること。外貨獲得の手段なのですが、一般庶民には関係ありません。会社では、その時にとった方法は、まず2つのみでした。
ひとつは、従業員の不安を抑えること。イコール昇給です。とはいいながら、政府発表のインフレ率はかなり低く抑えられていたような節もあり、実際の物の価格が上昇するのは時間がかかるもの。とにかく、基本は臨時昇給その率については、調査中ということで動いたのです。後で聞いた話では、大企業になればなるほど話がこじれ、軍隊を仲介させたところも珍しくなかったようです。
もうひとつは、輸出型企業でしたが、家具メーカーでしたので、原材料・副資材はほとんど現地調達でした。その価格上昇も気になる事でしたが、作為的に価格が上がるまで供給してもらえないという懸念。
これも現地スタッフの手際の良い手配により、25%程度の値上がりで抑えたものを確保できました。
もうひとつ大きかったのが、会社の収入です。ほとんど輸出で外貨決済でしたので、何もしなくてもルピア収入が1.5倍になったのです。それまで、仕事がなかったのに一瞬にして立ち直っていったのです。
まさしく、神様のちからかもしれませんね。



貿易実務関連 お問い合わせ:増田まで(年中無休)
TEL:0548-63-5570
FAX:0548-63-6757
メールはこちらをクリック

同じカテゴリー(1986年当時のインドネシア)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
運命を変えた一日1986年9月・ルピアの切り下げ
    コメント(0)