運命を変えた一日1986年9月・ルピアの切り下げ☆続編☆

これだけ大きな事が起こったのですから、すぐに落ち着く事はなかったと思います。ただ、懸念していた物価の上昇は思ったほど激しくなかったと記憶しています。また、日本食が専門のスーパーからなくなる事も無く、そういった意味では、比較的落ち着いた生活ができていたと思います。
ローカルのスタッフに限って言えば、当然生活の不安から雰囲気は良くありませんでしたが、事務所の職員は冷静に対処できたと実感しています。昇給についても早いうちに手をうったおかげですんなりと妥結されました。何よりも仕事をしてもらえなければ、会社の利益はありえません。
もちろん、自宅で抱えている使用人達も同じで給料アップは対応しました。ただ、家庭車の運転手の「A」は、性格もおとなしくまじめなのですが、よく給料の前借はしていましたね。なんでも、後で知らされたのですが、2人目の嫁さんがいたとか。それでは、やはりどう考えても養えないですね。
イスラム社会のなかでは、第四夫人まで認められています。ただ、第一夫人の了解が必要な事と、全ての夫人に公平に金銭的にも精神的ににも与えなければいけないようです。
日本人の私にとっては、一婦と3人の子供で手一杯でしたので、夢(?)のような話です(笑)icon02



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