ジャカルタで緊急事態 1988年9月

    家族が再来インして1ヶ月後の事

 かねてから末娘は生まれた時に頭が少々大きいので
 要観察といわれていました。

 生後6ヶ月目にインドネシアへ来るときには、病院の紹介状を
 もらい1ヵ月後に検診という約束です。

 そして1ヶ月が過ぎた頃ジャカルタ市内のクリニックに予約をし
 CTスキャンを撮って貰いました。

 私は午前中のみ付き添い後は心配ないだろうと事務所に戻り
 仕事をしていました。

 夕方、妻から泣きながらの電話。やはり娘の病気の事でした。
 医者によると「すぐに日本へ帰って手術」と言われたと。
 こちらも妻が出産した病院に勤務経験のある先生でしたので
 100%信頼していました。

 そこからが自分にとっても印象深い1日でした。

 まず、自分と家族が出国する為の「Exit Permit」の申請。
 こういう時はこそ裏技を使い即刻取得。
 航空券の手配もベーシックシーズンで問題なし。

 後は、仕事の段取りです。やはり2週間程度留守にすると
 思っていましたので、その間最低限の迷惑で済むように
 しなければなりません。経理担当ということもあり
 支払い予定から決済準備と日本から来客予定があったので
 その段取り等々。人生って何とかなるものです。

 同僚達の手助けにより翌日のガルーダで帰国ができました。
 が帰国前のチェンカレンでのエピソードに続く・・・
 

  



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子供って正直(2009-11-03 11:15)

この記事へのコメント
お気に入り追加ありがとうございました。
1988年9月は、
マレイシア(ネグりスンビラン州)に赴任して1年2ヶ月が過ぎた頃です。
インドネシア発上陸は、1988年12月に1ヶ月ほど旅をしました。(当時は、ルピアが圧倒的に強かったことを思い出します。)
Posted by ニシメニシメ at 2009年10月27日 08:46
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ジャカルタで緊急事態 1988年9月
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