1986年のインドネシアに暮らす①

ジャカルタに赴任した時に知っていたインドネシア語は、「Terima-kasih=ありがとう」と「Apa-kabar?=ご機嫌いかが」位でした。でも、赴任してからは普通に仕事も生活もできるようにしなければなりません。事務所のなかでは、わけのわからない言葉(インドネシア語)が飛び交い全く意味不明。 注:インドネシアでは日本と同様にほとんど英語が通じません。官庁やホテルで通日程度です。 とにかく、生活する為のタクシーへの乗り方や買い物または、病院など考えている暇はありません。そこで、同僚に紹介してもらい、インドネシア語のプライベートレッスン(週1回)を早速始めました。先生は、「SRI=スリ」さんといって日本語も英語もできる女性です。私は、机上の勉強がすきではなかったので、全て会話形式でやりました。まず、基本になる教科書は用意して(インドネシア語-英語訳版)、こちらの質問に対しては、全て英語または、インドネシア語で答えてもらう事。常に私は良く使う単語や慣用句などを単語帳に書きそれの解説をしてもらうという方法でした。よく覚えなければならない環境にすれば言葉もできるといいますが、その程度ではなかなか上達しないのではと思います。まず、興味をもって自分から動く事でしょうか。
先に述べたように事務所の中は、インドネシア語(後でわかったのですが、一部ジャワ語)が飛び交い、その中での仕事の引継ぎでしたので、かなり焦りはあったと思います。でも、まだ若かった事が幸いしたのかかなりの量で吸収できたと思います。インドネシア語の場合、アルファベットを使用しますが、発音は「エー・ビー・シー」ではなく「アー・ベー・ツェー」になります。また、発音の特徴がいくつかあるのですが、先に紹介したありがとう 「Terima-kasih」は、トゥリマ カシッ になります。[e]は、子音の後ろにきたときに、「エ」または「エとウの中間音」の2種類があります。その他お知りのHは、鼻に抜けるなどなど。発音の特徴を先に覚えたのを記憶しています。よく、インドネシア語は、覚えやすい・勉強しやすいと言われます。まだ、新しい言葉で
故スカルノ大統領(デウィ夫人のご主人)が独立宣言をしてから以降のようです。母体は、マレー半島(マレーシア)のマレー語が70%程度。その他英語の語尾を改良してインドネシア語風にアレンジしたものや車関係の言葉では、オランダ語(オランダ統治もあり)も残っています。やはり、言葉は文化で奥が深いものでありますが、まず興味を持つ事が大事だと記憶しています。



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