1986年のインドネシアに暮らす③お金

1986年1月当時の貨幣価値は、日本円 1円=rp4.00 (4ルピア) インドネシア通貨は、rp=rupiah(ルピア)です。
たしか US$1=rp1000.00(千ルピア)位でした。相場制ですから、日々換金レートも変わります。国際的には弱い通貨の為
日本円の様に強くなる(円高)こともありません。日々、すこしづづ価値が下がるという感じです。
よく売られていた現地のタバコが本数に依りますが、当初は600~800ルピア位だったと思います。私が愛飲していたのは、やや細めの「グダンガラム 18本入り」 割と軽めで気のせいか臭いもいい感じ?でした。
電話は、公衆電話が主流で、通常は50ルピア・ホテルは100ルピアで通話。ガソリン代も日本円で20~30円/リッター程度
だったと思います。そう、インドネシアは原油産出国でもあります。その他膨大な天然ガスや森林資源、
特に籐(ラタン)の原材料は、全世界の85%を占めていたと思います。
籐についてのお話は長くなりますので次回以降ということで・・・
タクシーの初乗り金額は記憶にありませんが、全て当時からメーター付の明朗会計でした。ただ、エアコン付の流しの
タクシーを探すのが一苦労で、わざわざホテルに入って呼ぶこともありました。通常ジャカルタのタクシーは車体が黄色ですが「ブルーバード」といって水色の車は、ほとんどエアコン付でした。また、時間貸しや1日チャーターなどつかいかってが良くまた、いい運転手にあたると指名などという事もありました。
待ちきれずに黄色のタクシーを使うと色々な事がありました。まず、床が腐って穴があいていて走る地面が見えたこと。
手動で窓をあける丸いやつが1ヶ所しかついておらず、運転手に聞いたらひっこ抜いて持ちまわしと言われたり。また
内側からドアを開けて降りようとしたら、開かずに監禁状態。運転手が降りて外から開けてくれました。などなど。
でも、恐い思いは一度もありませんでした。
夜、遅くなったときに一度だけ、タクシー料金のネゴ(交渉)がありました。通常の金額を言うと運転手が納得しないので
メーターを使用するように言いました。これが間違いの元。そのメーターの落ちるスピードが半端なく早く
結局高いものになりました。敵もさるもの。もちろん払いましたよicon07
※ワンポイントレッスン  交渉=ネゴシアシ (negosiasi) 英語からきてますね。



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